July 2015

水曜日は
冷しゃぶ ねばとろたれ

飛び込みの団体女性群で、アッと言う間の満員、それでも常連さんたちは間隙をぬって席を見つけていた。(≧∇≦)


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鰻を食べる時いつも気になっていたのが、山椒をどのタイミングでふりかけるかだった。ある程度食べてから、三分の一ほどになってから軽くかけていた。これは最近のことで何度も最初にかけたり半分くらいでかけて失敗した。山椒をかけると鰻の味が損なわれる。そう思っていたら、富山の鰻屋で山椒を置かない店があるという記事を読み納得した。要は天然物は泥臭くそれを消すための山椒だったのだ。今は天然物は皆無なので山椒は必要無いと頑として置かないらしい。自分も山椒はいらないと思っていた。

最近、鰻を食べたことがないので
写真はなし(≧∇≦)
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コンビニでスタッフへの差入れのガリガリ君をみていた。そのとき、なんとなくだった。自分でも食べられる気がした。子どものときから、氷物、アイスを食べると頭に激痛が走り唸っていた。夏にそれを忘れて口にすると七転八倒した。大げさだと思うだろうが本当のところだ。かき氷なんて食べたことがなかった。それが、なんの感覚なのか、冒頭の思いが沸き起こり、ガリガリ君を買ってみた。コンビニの外を望むカウンターに腰掛けかじってみた。そして待った。まもなく激痛がおきるのが常だ。待った。う---ん、起きなかった。ふふふ、とうれしくなってガリガリ君をがりがり食べながら行きゆく窓の外の人を眺めた。よほどうれしそうな顔なのか、一人がこちらをみて変な顔をしていった。無事、完食。もう一本スイカのアイスを買って会社にもどった。なぜだろう、と考えたが分からなかった。変わったことといえば、今年はスイカが無性に食べたくよく買って食べている。これまでひと夏に一回口にするくらいだった。ただこれは無関係だろうが、体のどこかが変化していることはまちがいない。歳をとるのではなく、若返っているのだろうか。(笑)スタッフの差入れはすっかり忘れてしまった。(汗)

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マフラーがダメになり取り替えた。その帰り、おやっと思った。座席の位置が違う。何度か前の位置を探る。と、クラッチが滑り出した。セカンドがおかしい。マニュアル車だ。癖があるから他人にはハンドルは握らせない。修理に出すとおかしくなってくる。という話しをよく聞く。自分でも、何度か経験したことがある。これは事実なのか、都市伝説なのか。思うに修理工の腕なども関係するに違いない。

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そろそろかなとウェブを見たら、この7月29日に発売とあった。予約受付中だ。映画はそこそこヒットしたという。多分ファン中心なのだろう。制作費があまりかかってないから、大ヒットに近い興行収入益らしい。しかも、東南アジアの国々では大ヒットだと何かで読んだ。好きな作品がヒットするのはうれしいものだ。もうひとつ好きな「孤独のグルメ」は映画にするのは難しいだろうな。

「題名のない音楽会」が自動録画されていた。観てみると壇蜜がゲストで出てきた。
壇蜜は衝撃ヌードでデビューしたが、その危うさからやがて消えるのかと思っていたが、今やすっかり独自の位置を確保している。身にまとった知性教養と柔らかな日本女性の物腰などが彼女をグラビアの世界から浮上させた。受け入れられたのは現代女性たちの思考の変化もある。
しかし、観ているこちらの気恥ずかしさと面映さはなんだろうと考えた。そして思い当たったのは、壇蜜はひとつ屋根の下で暮らす女性なのだ。女性の家族と暮らしていると裸体は自然と目に飛び込んでくる。当然、扇情的ではない。その見慣れた裸体が服や着物をまとって出ている。最初はドキドキとかハラハラとかしたものだが、やがてその中身を知っているため特別な親近感が湧いてきた。
この裸体を見ている家族説、一緒に暮らす女性説を周囲に話したら、それは当たっている気がすると何人かは言った。大方はずれでもない。

長くこの番組を観ていた。関西ローカルだが放送されていた。だが、ここしばらく観なくなった。つまらなくなったからだ。深夜なので録画して観ていたが、ここ数回は観てまた腹を抱えている。ほっとしている。番組の内容が以前のものにいくらか戻ったからだ。来場者が描いた絵の題を当てる。間寛平のボケが始まる。松尾伴内の女装にそのお約束ごとのセリフ、ラストのクイズ、言葉合わせなどなどお決まりが楽しかったが、妙に変えようとしてつまらなくなっていた。さんまも本名で企画に関わっている。受けている間は変える必要はない。寅さんと同じだ。これはファンの勝手な意見だが。サポートの歴代女子アナも三人は見たほどだが飽きなかった。番組制作者も気づいて元に戻したのだろう。楽しみが戻った。さんまさん(芸能人、タレントに、さんを付けるのおかしいのだが、ここは敢えて)には、お世話になった。妻が亡くなった後、娘と二人テレビを観ていて、彼の番組で笑わされ、ずいぶんと慰められた。これぞ、お笑いの真髄だと思う。
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仕事の都合でいつもの昼飯屋にいけないでいる。そこで街中のそば屋に入っていた。以前通っていたことがある二軒だ。首を傾げた。双方とも店内が変っていた。一軒目は四人掛けのテーブルの真ん中を小さな暖簾で仕切り二人ずつ掛けられるようにしてあった。お一人様をできるだけ取り込もうというのだ。そこに案内された。狭苦しかった。後日に入った二軒目の処も改築して壁に向かって食台を走らせ、またテーブルも四人掛けを少なくして二人掛けが汲々と置かれていた。これもお一人様を狙ってのものだ。みんな大人しく食べている。なんだか、餌場のようだ。時代の流れか、老年のお一人様女性客が大半で、寂しそうに、いやぽつんとそばを啜っている。中には二人連れもいるが、こちらは打って変わっておしゃべりで大声だ。薬の数の話が多い。一軒目の中年女性の店員の客あしらいは威圧的でまるで監獄の監視官のようだった。ご想像通り体格もいい。食べ終わった器をむしり取るように持っていったのには驚いた。二軒目の客あしらいは心得たもので、親切で優しいがここも隣りの席近すぎ狭い。また生気がない客達とは一緒には食べたくはない。こちらの気分も落ちる。外国では食事には時間をかけ楽しく過ごすものだ。そこで今日は美人スタッフの一人と近所のそば屋にいき楽しい昼食をした。誰かと食するのは食と時間を豊穣なものにする。高齢のお客達はもっと胸を張って欲しい。気づいたのだ。自分は老年者達へのリスペクトのなさに腹を立てているようだ。

この蕎麦は近所のそば屋さんの
納豆そば
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開口一番
「すごい、天才です。僕が読んだ本で一、二番になります」
バーベキューの場で、最近知りあったMさんがそう言ってくれた。読んでくれたのだ。くすぐったかったが、嬉しかった。今、奥さんが読んでくれているという。
Mさんは語った。
誰でも知らないうちに誰かに怨みをかっている、というのですね。少年が戻らないことを選択したシーン、いじめた子が諦めたシーンに僕は泣いてしまいました。
こちらの目をじっと見つめてMさんはそう感想を述べてくれた。そして「僕はすっかり青目さんのファンになりました」と言ってくれた。「早く別な作品読ませてください」と続けた。
場所は広い公園だった。焼かれた肉や野菜をのせた皿を手に木陰に腰下ろし缶ビールを飲み、構想中の作品の展開を考えた。誰でも褒められると力がつく。怠けてはいられない。

kindlel版 「グランシャリオの涙」も
発売されました。よろしくお願いします。




いつもの芝生と小川のある道を通って買い物に行ったら、まさに大の字で寝ている人がいた。午後、昼過ぎだったと思う。帰りも、まだ寝ていた。さぞかし、気分がいいだろう。それとも、酔っ払いか。


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