May 2015

困ったなとカップラーメンやお菓子の入ったコンビニ袋を見たりしていた。バスも来ない。ほかの乗客も来ない。左の女性はスマホをいじりぱっなしだ。背後は大学の塀でなかには樹々が繁っている。月が出て一帯を蒼みがかった夜にしている。なんだかトトロのバス待ちのような雰囲気だった。バスが来ないかとビルの間から曲がり来る交差点を眺めた。通行人や自転車がひきりなしにバス停と塀の間を通り抜けていく。三、四分経ったころだろうか、夕闇の中から一人の背の高い青年がにゅっとバス停の灯りの中に現れた。よく見るとあの青年だ。徒歩だ。自転車はなかった。置いてきたのか。だが、青年が去った方向には個人宅もマンションもないはずだ。不思議だった。もっと不思議だったのは、その青年は何事もなかったようにコンビニ袋に手を伸ばしたことだ。こちらが袋の口を結んだことにも気がつかない。そのままバス待ちの姿勢で突っ立った。社で若いスタッフと談笑してきたところだった。普段は無口なのにこちらはそのノリで、「君、ここ置いていったら盗まれるよ」と横の青年を見上げて軽く言った。うん?、 反応がない。青年は道路に顔を向けたまま全くの無反応だった。なんだ?と見たらはスマホから線がのびていて耳が塞がれている。音楽を聴いている。こちらはおかしな独り言をいったカタチになってしまった。マヌケな状態だった。恥ずかしかった。何か誤魔化して取れつくようにも取りつくものがなかった。ちらっと左の女性をみたら、彼女もスマホに顔を落としながら目だけでこちらをうかがっ
たのが分かった。笑うにも笑えなかったのだろう。さらに気恥ずかしさがこみ上げてきた。なんとも間が持てない状態で、それこそ穴があったら入りたかった。バスも来ない。多分、時刻表を見て自転車を置きに行ったのだろうが、袋をポンと置いた仕草から置き忘れたとは思えなかった。どっちなのか訊いてみたかった。この気恥ずかしさは、来週スタッフに話して笑いにしてしまおう。君子危うきに近寄らず。といったところか(汗)
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バス停ではいろんなことが起きる。とは思ってもいなかったが、長年バス通勤してるとそれがよく起きる。昨夜はこの荷物だ。夕闇が迫りつつある時刻だった。自転車に乗った青年が、多分学生だ、バス停に近づいてきて通り過ぎるのかと思ったら持っていたコンビニ袋をポンとベンチに置いて、時刻表をのぞきこんだ。こちらは目を離しスマホか星空を見たとおもう。何気なく横に顔を向けたら、この袋だけがあった。当然、驚いた。目をあげると自転車に乗った青年の姿はすでに小さくなって夕闇の中に溶けつつあった。追うにも、声を出すにも、遠すぎた。左横にはスマホをいじる女性が一人いた。彼女は気づいていない。困った。カップラーメンなどがこぼれ出そうだった。お節介だが袋の口を結びベンチに置き直した。交番に届けるほどのものでないし、こちらにも用がある。待っている遠距離バスもそろそろ来る。しばし思考停止状態になる。心のなかでは、あきらめてくれ、と食べ物達に訳の分からない言葉をつぶやいたり、見知らぬ人物に喰われるくらいならこちらが喰ってやった方が供養になるか、ただこういった物は食さないしな、などとこちらも訳の分からないことを考え、ただ眺めていた。途方に暮れる状態だ。そのときは、このあとこちらが穴があったら入りたくなることになってしまうとは思いもしなかった。

今日はスタッフのAさんと。

ミョウガたっぷりの和風ハンバーグ!


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よく勘違いや読み違えがある。勘違いは自己処理できるが、読み違えは恥をかく。子供の時や学生時代に間違って覚えそのままになっている。当然勉強不足なのだ。その世界に縁がなかったこともある。TVの「なんでも鑑定団」を観てた。画家の小磯良平の絵が紹介されていた。懐かしい絵だった。そういえばこんな絵があったなと思った。誰が描いたのかも知らなかったが、好きな絵だった。一つ利口になった。題も出た。ふむふむ、えっ、そう読むのかと驚いた。読み違え、勘違いだった。題は「斉唱」だった。音では、知っていた。字面から入ったことはなかった。

フェイスブックにアップしたあと、よくよく考えてたら、ワッフルなんて数回しか食べたことがなかった。しかも、ミックスフルーツワッフルは、初だ。店主とおしゃべりしながらだった。美味しかったので、もっと味わえばよかった。珈琲の器は小樽焼きだった。店は古い家を改造したものだ。ここの市民はなぜか喫茶店経営に憧れる人が多かった。今でもそうなのだろうか。小樽市入船郵便局そば。歌神乃丘という店だ。店名の由来は店主の出身地からだといい、知る人ぞ知ると言っていた。
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「百年の孤独」が翻訳され日本に紹介されたときすぐ読んだ。壮大な物語に理解というよりどう受け止めてよいか分からずただ読破した。難しい解釈は後年評論家や雑誌しでしてくれるだろう、と若かった自分はそう処理した。残念のは、当時金がなく古本屋に売ってしまったことだった。その後、「予告された殺人の記録」を映画で観たときこういったストーリー性があるものも書くのかと思った。現実に起きた事件を長年取材したという。それで「百年の孤独」を再読しようとしたとき書店にはなかった。こういった本にもブームがあった。手にした雑誌を開いたら、ガルシア=マルケスの言葉があった。

「人の生涯とは、人が何を生きたかよりも、何を記憶しているか、どのように記憶して語るかである」

とあった。思いあぐねていたことがこの言葉によって消え、書く意欲が湧いてきた。

困ったものだ、と事件が起きたとき感じた。それをきっかけにドローンへの騒ぎが大きくなり規制づくりが始まった。昨年、海外でのドローンの広がりを知り、早速当社でも購入しスタッフに練習させていた。ちょっと前まで周囲にドローンと言ってもほとんど知らなく興味も持たなかった。事業の一つになると思った。某家電にて購入したとき品数もあまりなく、これから入る予定があるかと尋ねたら、ないです、とつれない返事だった。最近その店にいったら一階に<ドローン、二階にあります>という大きめの暖簾が垂れ下がっていた。事件で儲かっているのは家電屋だ。マスコミはこぞってドローンのマイナス点を取り上げている。双眼鏡でも他人の家は覗ける。保険会社では事故の人の眼が届かないところを撮影するのにドローンを採用するという。使い方次第だ。ヒステリー的に避難するのでなく、冷静な思考が大事だ。ただ日本人は思考停止状態だからムリもない。そう言いながら自分もバスの中でスマホでゲームをし思考が停止している。スタッフは外で練習しづらくなったと嘆きながら、社内で飛ばしている。
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最近、常連さんが様変わりしてきて、さみしいながら、その現象が面白いと思っていた。

今日は、いわし団子のアスパラあん
旨かった(^o^)/

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仕事や生活で予定を立てる。そうしたとき予定が狂うときはよくある。相手の都合によってとかいろいろだ。それは仕方がないことだが、この二、三日はすべてがこちらの思惑どおりに進んだ。ここに行って、あそこでカニサンドを食べて、その次は知人と会い、別れた足で散髪に行き、それから---------。たいていはそうはいかない。例えば、 散髪も時間待ちになることが多々ある。些細なことだが、振り返ると小さな満足感が広がる。これは、そうはない。



三つ揃いベストの季節が終わった。ネクタイの裾が邪魔に感じた。スタッフがネクタイピンをしている。やってみるか。ピンのしないスタイルにならっていた。昔、貰ったものが一本あった。だが、数日家中探してもなかった。諦めたときベッドの棚に箱がありそこにあった。初日、スタッフに 見せて歩いた。内心失くするのではないかという不安があった。午後出掛け用を終えて社が近くなったとき ネクタイピンがないことに気づいた。ああ、やってしまった。そんな自分を呆れ苦笑した。都会だ、と諦めた。でもな、とひと仕事終えたあと思った。あそこでは、あった。店の人に尋ねてみるかと外に出た。三つ目の交差点を渡った。下を向いていたら、路上のタイルの隙間にピンが仰向けに転がっていた。その間も足が行き交っていく。さっと広い上げた。都会だからこそ見向きもされなかったのだ。よかった。

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