おはようございます。

休みの日に一人回転寿司に入ってみました。半年前に娘夫婦と食べたところです。

回転寿司はあまり入ったことはないです。回らないお寿司屋さんもあまり入りませんが。

回転寿司に入ると密かにパニックになる。お茶は?  あっ粉茶なんだ、ティーパックの時代は終わったのか。お湯は? 注文の方法は、そうか紙に書くんだ、などとモタモタ。

 目の前の品書きを見、顔をあげると今日のオススメなどの短冊がずらりと垂れている。目が定まらない。貝のオススメ、トロシリーズ、えんがわ、など目移り。パニックは続く。

回ってる皿をとろうか、いや注文した方が鮮度がいい。そのくらいは知っている。シメ鯖が食べたい、イカも食べたい、せっかくだから高級な物を頼もう。

アワビだ、ウニだ、貝だ、鎌倉で食べられなかった生シラスと書いたが誰に渡したらいい?
目の前の板さんは忙しそうだし、気むづかしそうだ。迷っていると、向かいの席の客が紙を渡した。板さんが笑った。

そうだ、ビールだ。ビールも板さんか、と迷っていると背後を女子店員が通った。頼んだ。どうも小声になる。

隣りに丸っこい青年が座った。さっと紙に書き板さんに渡した。慣れている。常連のようだ。板さんが大声で言った。「ズワイガニ!」ズワイがあるんだ。青年はスマホに目を落としている。こちらもズワイガニを追加。青年は次に、イクラを頼み、またスマホ。ゆっくり食べている。「茶碗蒸し!」。青年だ。おっ、茶碗蒸しがあるんだ。頭から抜けていた。食べたかった。紙に書いた。と、離れた左側の客が「茶碗蒸し!」と頼んだ。すると、板さん「すみません、茶碗蒸し終わりました」こちらは書いた紙を置いた。今度は「玉子焼き!」と板さんの声。また青年の注文だ。こいつ、通だ。スマホを見ながら玉子焼きを食べている。しばらくすると出ていった。グチャグチャと頼んでいるこちらはなんだか圧倒された。いま流行りの言葉でいうと、神対応の食べ方だ。青年と言っても、少年から青年になったばかりくらいだ。昔ではあり得ない。

メニューを開くと、焼き鳥があった。いつも行く焼き鳥屋のイメージが広がり食べたくなった。紙にせっせと、レバー、ひな皮、なんこつ、豚串などと書き、やっと慣れた注文に、板さんニヤッとした。「すみません、今日焼き鳥の機械が壊れちゃて-----」