ギャンブラーだった。と、いえるほどでなかったがずいぶんとやった。学生時代だ。主に麻雀だ。アパート近くに同郷の者がいた。そこに東京で知り合った者も集まり徹マンになる。冬、夜通し雑誌の印刷をサポートするアルバイトがあった。板橋にあり始発で帰る。京王線の下高井戸から三軒茶屋への世田谷線に乗る。車内は冷え込んでいる。暖房なんてなかった。ぶるぶる震えながら発車を待った。途中、一人の部屋で温かい物を食う話しになる。ちょっとだけと言って麻雀になる。つい夕方までやってしまう。寝ないでバイトに行く。それを続けて四日やってしまった。勝ち負けは覚えていない。最後には神経がぴりぴりして尖っていた。その後、多くの人と卓を囲んだ。グアム島の帰り、羽田で並んでいたら阿佐田哲也が横を通った。麻のジャケット姿。雀士で作家だ。緊張した。色川武大の名もある。阿佐田哲也は「朝だ、徹夜だ」から来ていると聞いた。顔にも後ろ姿にも隙がなかった。惚けていた時代だったが麻雀ギャンブルは、後年仕事上、人生上で役にたった。雀鬼会の桜井章一もおなじようなことを言っていた。<敬称略>
1977-07-01-00-00-00